RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

07
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

日々雑感

三日坊主になりませんように・・・願望
クリスマスおめでとう
0

    皆さん、どんなクリスマスをお過ごしですか?
    全世界に平和が訪れますように。

    私にもサンタさんが来てくれました。

    かわいい耳かき(私が耳かきを集めているのを知っているのね!)
    クマさんの柄のタオルハンカチ

    どちらも思いもしなかったので、心がほっこり、嬉しい。
    サンタさんは来ないんじゃいかと思っていたのでね。
    | クリスチャンな女してます | 07:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    教会にて
    0
      私の所属している教会では毎月第一聖日(つまり第一週の日曜日)に聖餐式を行っている。聖餐式とは、イエスが弟子たちに最後の晩餐の時、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と命じられた儀式です。
      教会の信徒(洗礼を受けた人)がパンを食べ、ぶどう酒(ぶどうジュース)を飲むという儀式で、洗礼を受けられ信仰告白をされている方なら、どちらの教会に属している方でも聖餐に与ることができます。教派によっては洗礼を受けていない人でも聖餐を受けることができたりするところもあるかのようですが、私はそれはちょっとないだろう!と思っています。それほどクリスチャンにとっては非常に大事な儀式で、嬉しさと戒めと希望と願いと私たちの罪のために処刑されたイエスキリストへの思い、そんなものが心の中で交錯します。自分自身の精神が疲れていたり悩みを負っていたりするとき、よく私はポロッと涙が出たりもします。
      何の罪もなかったイエスキリストが最後の晩餐のとき、自分の目の前に迫ってきた処刑を思い弟子とともに食卓についたとき、その時の思いはいかなるものであったか、それを思うと自分の悲しみや怒りや悩みはどれほど小さいものか自分の罪はどれほど大きなものか・・・と自分を恥じ、そして教会の兄弟姉妹とともに聖餐式に与って喜びや悲しみをともに分かち合う祝福された時を過ごせるのです。

      とまぁ、宗教的にはこういうものであるのですが、当然この儀式を行うためには準備とお片付けというものがあるわけで・・・。準備は私の所属教会では長老とよばれるいわば役員のような方がやってくださるのですが、お片づけは婦人連中が当番制で行っています。宗教儀式ですから準備やお片づけも厳粛に行うべきもので、手順に従って粛々と行わねばなりません。まぁ、信仰心がなければ、ただ食パンを小さくきったものを一人1個ずつ食べて、小さなガラスの容器に入れた葡萄液をクイッと飲んだ、儀式セットをチャチャチャと洗っておしまい、といったものでしょうが。やはりそれではちょっとありがたみがありませんねぇ。だからちゃんと手順に従ってやる必要があるわけです。多くの人がお当番に携わっていますから(昔はたぶんお当番制度じゃなくて決まった人がやっていたかも・・・ここらは教会によって時代によって違うんでしょう)、私がこれまでにお当番をやったのはまだ7,8回でしょうか。
      そのお当番が来月あたっておりました。

      ところが、私は来月第一週に大学のクラブの同期会に出席することになり(同期会といってもささやかな5人のメンバーが集まるランチ会ではありますが)、毎月第一週の朝の教会学校の奏楽は時間的にいつもどおりやれるけれど、聖餐式のお仕事はできそうにないということになりました。
      自分が出来ないとあらば、誰かと交代してもらわねばなりません。たぶんすんなり代わってもらえるかなとは思っていたけれど、すぐに見つからなかったらどうしようと心配しながら今日は教会へ。
      代わってもらいたい方(12月のお当番の人)のところにいって頼み快諾してもらえてホッ。来月私と一緒にお当番をこなす人(お当番は2人でやっている)に断りをいれて、さらに12月のお当番の相棒となる方のところへ行って「代わりに私が入ることになりました」と申し出てました。礼拝後、これらのことをスムーズに出来て安堵した次第。

      先月の一度に加えて今日もさとちゃんも礼拝出席。
      さとちゃんもみつるんも、幼児洗礼は私の意志で受けているけれど彼ら自身は信仰告白を終えていないのでノンクリスチャンです。私は彼らが教会に行きたければ行けばいいし、いきたくないのなら無理強いはしないつもりでずっと接してきました。
      さとちゃんはたまに教会に行くけれど、みつるんは滅多に行かない。
      今日も礼拝が終わったらすぐに皆で実家に行く用事があったので、私が教会に行くのと一緒に彼らも家を出たのだけれど、さとちゃんは礼拝に出たがみつるんは教会近くのどっかの店屋(古本屋?)に行ってしまいました。11時20分には戻ってきていてね、と頼んでいたのでちょうど礼拝が終わったころやってきました。
      みつるんは小さいときは結構私に連れられて教会に来ていたり(幼児の頃)、教会学校も小学生中学年くらいまではマジメに通っていたので教会員の人も知っていてくださっている。だけど、ここのところ急激に成長して大きくなったので、会う人会う人にびっくり驚かれていました。「え??どこの人かなぁーと思ったらみつるん君なの!」とか「大きくなってねぇ。え?もう中3なの?赤ちゃんやったのにね」とか言ってもらっていました。
      こういうのを聞くと、あぁ、教会の交わりって素敵だなって思うんです。教会には老若男女いろんな人がいて、ずっと長い間おつきあいしていて、こんな集まりって他では経験できないことなんじゃないのかなって思うから。
      みつるんも「あ、中3です」とか「(大きくなってぇ〜と言われて)あ、そうですか・・・えへへ」とか答えていました。
      礼拝には出席無理だったけれど、教会の人と交わっているところを見れて幸せな気分になりましたよ。

      まぁね、教会の人間関係ってのもいろいろあって、嫌気がさすこともないわけではなけれど、それでも教会って好きだなって思える瞬間でした。


      | クリスチャンな女してます | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      再会
      0
        今日はとっても嬉しい一日でした。
        教会で菜の花さんに再会したんです!先月中旬に突然菜の花さんから電話があって、今日本に一時帰国しているということでした。関東にいるので会えないよなぁ、とがっかり。とんぼ帰りの東京のときにどうにかして会えないかなと少し思ったけれど、どうにも時間が取れそうにないしいつまで日本にいらっしゃるのかも聞いていなかったので、連絡もしませんでした。いつか会えるかな、きっと会えるよね、と思いあきらめてしまっていました。

        そしたら、今朝、電話が!
        なんとまだ日本に滞在中で、大阪の当市にきていて礼拝に出席するとのこと、今日は礼拝に行こうかどうしようかと思っていました(あぁ、毎週行かない悪い子ちゃんです、私は)。この頃、さとちゃんが塾に日曜日行くのですが、駅まで送ってやるのがちょうど礼拝の時間に重なりなかなか出席できないでいるのです。でも、今日はさとちゃんは午前中は塾に行かないと言っていたので好都合。そして菜の花さんに会える!といそいそと出かけたのでありました。さとちゃんも菜の花さん会いたさに、礼拝に出席すると言いました。みつるんは行かないと言ったので留守番だったけど。

        牧師先生と菜の花さんのビザの関係で(なんでも向こうでの身分が変わるとかで、留学生用のビザから宣教師用のビザに切り替える必要があるということ、またそのビザが9.11テロ以降、申請許可に時間がかかるとか)、まだ日本にいらっしゃったのですって!
        わざわざこちらにまで足をお運びいただいて(何か用事があったのかな)、お会いできるなんて本当に嬉しい。
        そして、サプライズは、なんと菜の花さんのお腹に新しい命が授かっているということでした。予定日は3月29日とお伺いしました。おーっ、私は3/26生まれだよ。お腹をなでなでさせてもらいました。

        また次はいつお会いできるかわからないけれど、アメリカで牧師先生と菜の花さんが良い働き、活躍が出来るよう祈っています。
        | クリスチャンな女してます | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        自己嫌悪
        0
          今に始まったわけではなくこの傾向は前からなのだが、ここのところ全くその傾向に拍車がかかってきているように思うのだ。

          あのね・・コソコソ。。
          なんで、私は礼拝中これほどまでに眠くなるんだろう。

          昨日も礼拝に出席はしていたけれど、意識はいったいどこにあったのか?
          説教の何一つ覚えてないってどういうことさ。
          ルツ記の話だった・・・それ以上何も思い出せない、だって寝てたから。

          すごく説教を求めて出席してるんですよ。
          聞きたいと思って出席してるんですよ。
          牧師の説教は、神さまのみ言葉を代弁しているというのがクリスチャンなら誰でも理解していること、それは私も同じなんだけど、なんでそれなら求めているのに神様のみ言葉は私の眠気に負けてしまうのか?

          自分、睡眠障害かなぁ・・・て思ってしまうくらいだ。

          そういえば・・・かなーり昔のことだけど、同じようなことがあったな。
          あれは、大学生の時だったけど。
          経済社会学みたいな授業を選択していて、その授業ははじめは適当に取った科目だったんだけど、受講してみたら、担当教授のその授業、とても魅力的で興味もあったし全てを吸収したい!そんな思いで授業を楽しみにしていたのに、だから、最前列に座っていつも授業にのぞんでいたのに途中で必ず睡魔がやってきて、「ダメダダメダ、先生の授業聞きたいんとちゃうん?もったいない!!」と思いながらも、まぶたが重〜くなってきてバタリの毎週。あの時も、なんでそうなっちゃうんだろ?って自分自身をふがいなく思ったものだったが。
          最近の私の礼拝もあの時と全く同じ状況。
          これじゃいかん、これじゃいかん、と思って、せめて讃美歌だけは、といつも以上に熱心に歌う。
          私、教会に讃美歌うたいに行ってるだけなのか・・と自己嫌悪に陥る。
          あ、お祈りの時は覚醒していますが・・・。
          なんとか、説教をはじめから終わりまで意識を失う!ことなく聞きたいよー。
          熱心な教会員の方を見習ってメモを取るようにしたらよいかもしれんな。でも、そんなことしようもんなら、途中でペンをポテッと落とすのが関の山かもしれないな。
          私の好きなミスタービーンのドラマのある回で、教会でうとうと居眠りするビーンが出てくるのがあったけど、私と重なるなぁ・・・。

          この状態、神さまはどう思っておられるのか・・・。あーあ。
          | クリスチャンな女してます | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          信仰は人につくのではなく
          0
            所属教会に新しい牧師が赴任されました。しばらく無牧の期間があったのですがこれでほっとするわけです。
            牧師が変わると何かが変わるのでしょうか?
            牧師は神様の言葉を伝えるメッセンジャーの役割を果たしているのだと思います。メッセンジャーが違っても神様の言葉は同じなはず、でも、やっぱりメッセンジャーによって伝わり方って違うのだろうか?

            話がまどろっこしくなりました。

            私は複雑な思いでいます。

            それが原因なのかどうかは私にはわからないけれど、新しい牧師になってしばらく教会から足が遠のいていた教会員の方が礼拝に来られるようになりました。これってどうよ。。って少し思っちゃうのです。

            人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである(マタイによる福音書7:1)
            聖書にこうあるように、私は人を裁くような行いは慎むべきなのだとわかってはいても、つい思うのです。

            前の牧師じゃ不満で牧師が変わったから教会へ来るようになったん?って。
            信仰は牧師につくのではないよなぁ、いいん?それで?って。
            そう思いはするけれど、じゃ、自分はどうなんだ?もし自分にとってすごーく不具合な牧師や教会だったら、足が遠のいたり教会を転会したりそういうこと絶対に考えないか?って自問したらちょっと自信ない。だから、そういう人を責めることは出来ないのかもしれないけどね。

            細く長く信仰生活を続けたいと私は思う。

            そのためにどうしたらよいか。

            話は変わるが、教会の礼拝オルガニストが人員不足で、現オルガニストさんからぜひ加わってほしいと請われている。
            今までにも何度かお誘い(お願い?)を受けたことはあった。子供が幼稚園に上がった頃だったか、その時は礼拝のオルガンは自信がないからひとまず教会学校のオルガン奉仕からって引き受けたんだ。あれから、10年以上。
            私は悩んでいる。
            ぼんくらクリスチャンに勤まるようなものでないように思う。
            練習時間が確保できるかどうかも疑問だ。
            そこまでの熱意があるのかどうかも。
            でも決定的にわかっているのは・・・お引き受けしたら自分自身にすごく恵みが与えられるってこと。それは確信してしるのだけど。教会学校で奉仕しているときにも感じていることだから。
            だけどだけど、楽器から遠ざかっている今、能力的に厳しいのも事実。
            能力で奏楽するのではない、信仰によって奏楽するのだとわかっているけど、それでもある程度の演奏力は必要だわなぁ。
            お引き受けしたら、礼拝おさぼりは難しくなる(えぇ、よくさぼってまふ、私)。それも大きな理由だ。
            のんびり気の向くまま信仰生活を送りたいという願望と、奏楽したらきっと満たされる充足感を得たいという気持ちと。

            信仰生活18年目に入った私のこのごろの悩み事であります。
            | クリスチャンな女してます | 21:21 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
            教会の月報に載せた文
            0
              所属している教会では毎月、月報を発行しています。そこにある「シャローム」というコーナーは、教会員の近況を報告するスペースです。今月、予定していた方のピンチヒッターとして私に原稿依頼が来ました。以前にシャロームコーナーに自分の文を載せてもらったことがありますが、今回久しぶりです。依頼が来て締切日まで数日しかなくあまり推敲できなかったのですが(どうせ推敲したとしてもたいした文書けないから一緒か!)、こんな文章となりました。

              シャローム!
               他教会の礼拝に出席して

               夫が東京に単身赴任になってもうすぐ2年、その間、何度か私は東京に家事をしに行くという口実のもと遊びに行くのが楽しみになりました。滞在中日曜日を迎える時は出来るだけ教会へ行こうと心がけています。今までに、下谷教会(夫の居宅から一番近い)・根津教会(菜の花さん※前任牧師夫人のこと※に紹介してもらった)・大宮前教会(彌吉牧師がいらっしゃる)に出向きました。
               他教会で礼拝に出席すると新しい発見がありなかなか興味深い出来事に遭遇します。例えば、普段あまり歌わない讃美歌を歌えたり、主の祈りを詠むスピードが違っていたり(河内長野教会は速いなぁ)、献金のささげ方が違ったり、司式の根幹となる部分は変わりませんが、ちょっとした変化を楽しみ、その事から信仰の原点に立ち戻れるような気がします。
               有難いことにどの教会でも信徒の皆さんや牧師が非常にフレンドリーに出迎えて下さいます。見ず知らずの東京で過ごす私にはそれがとても嬉しく、翻って自分は河内長野教会で新来会者の方にこれほど親切に振舞えているだろうか?と反省することしきりです。礼拝でしばしば「同じ時間に全国津々浦々で行われている礼拝をお守りください」と祈りますが、その際、あの教会、この教会、そこで出会った信徒の方々、と思いをはせることが出来るようになりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
              | クリスチャンな女してます | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              二度目の下谷教会
              0
                パパさんのマンションから一番近い教会が下谷教会。
                11月はじめの東京滞在で、日曜日どこの教会へ行こうか迷った末、下谷教会へ行ってきました。前にも一度行ったことがあるので2回目。でも、前は伝道礼拝だったので他教会の牧師の説教だった。今度は下谷教会牧師による説教。
                ちょうど一週目だったので聖餐式が行われる。
                どんなかなぁー?(教会によって少しずつ司式が違ったりする)と楽しみ。
                同じくらいの規模の教会のようだけど、少し違っていて新鮮な感じ。

                礼拝が終わりおいとまするときに、牧師にご挨拶した。
                「今回2度目なのですが・・・」と言いかけたら、「はい、お顔を覚えていますよ」とおっしゃった。確かに前の礼拝のときには説教はされなかったけれど、その場にいらっしゃったことは事実。
                だけど、もう1年以上前のことなのに!!すごい!!
                一瞬、本当?と疑ってしまった自分を恥じる。

                説教はなかなか興味深かった。
                仏教との対比。上手に書けないけれど、仏教だと、死んだ後、遺族が49日お経をとなえて供養しなければ仏様になれない。キリスト教にはそういう考えはない。自分がどれだけ生前に神さまと対話していたかが重要。などなど。

                比較であって他教の非難ではない。私は仏教が嫌いというわけではない。なにを信じていてもいいと思うのですよ。ただ、人間、苦難の中にあるときに必ず宗教って必要なのだろうなと思っている。ならば、普段から宗教心を持つってことはとっても大事なことなんじゃないかなって。私の場合、それがキリスト教であったわけで・・・。

                11月1週目ということで、下谷教会も召天者記念礼拝だった。
                座席最前列にたくさんの天国へ召された教会員の写真が並べられていた。礼拝後、お一人ずつお名前の紹介があった。
                どんな方であったのかは私は知らないけれど、神様のもとでは兄弟姉妹。一足先に天国へ行かれた人たち。穏やかな空気が私のまわりに流れていました。こういう感覚ってキリスト教ならではかなぁーって思った一瞬。

                やっぱりクリスチャンになって良かったって充たされた思い。
                すがすがしい気持ちで11月第一週の礼拝を東京で終えたのでした。
                | クリスチャンな女してます | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                100周年に寄せて書いた私の文章
                0
                  私の所属している教会は去年創立100周年をむかえました。それを記念して本が作られました。巻末に教会員が一文ずつ寄せています。完全に転記になるのですが、ここに記してみましょう。

                  題名「迷い出た1匹の羊」
                  はじめてキリスト教というものに出会ったとき、このたとえ話が私にはどうにも理解のできないことでした。たった一匹のためにそこまで尽力するのだろうか?と。洗礼を受けて(1989年ペンテコステ)迷いが解けました。自分は小さい、弱きものと神さまの前で悔い改めれば、神様は決して見捨てることはなく、自分が取るべき道をはっきりと指し示してくださいます。けれども、私はついつい悔い改めることを忘れて神様にわがままを言っています。そんな私ですが、神様は決して信ずるものを見捨てることがありません。いつも感謝と讃美の心で満ちあふれていたいと願っています。
                  愛唱聖句 ローマの信徒への手紙5章1−5節 コロサイの信徒への手紙4章2−6節
                  愛唱讃美歌 讃美歌21の504番 522番

                  愛唱聖句は紛れもない私が一番好きな箇所。ほとんど熱心に参加しなかった大学での礼拝(毎日決まった時間に行われていた)だったけど、ある日、たぶんその日は宗教特別週間だったのかな(週間の間には礼拝に出てレポート書かなくちゃいけなかった)、ふらっと参加したのだ。いやもしかしたらそういう週間じゃなかったのかもしれないけど。その日の礼拝の箇所はコロサイのそこの箇所だった。「塩で味付けられた」の箇所にひかれて私はその部分が好きになったのだ。ローマの信徒への、の方はたぶん教会へ行くようになってから好きになった場所。
                  愛唱讃美歌は、実はどうしてもこの讃美歌がとびっきり好きというのではない。この文章を書くときに「愛唱讃美歌は、もしかして葬儀のときに参考にするかもしれません」という話を聞いたので、それにあわせて考えたのだ。私が本当に好きな讃美歌は別なんです。でも、葬儀にはあまりピンと来ないなぁと思って。

                  創立100周年記念誌が発行されたとき、私は同じように寄せてある教会員の人の文章を読みふけりました。ある方の愛唱聖句と讃美歌の場所を見て、目の玉が飛び出るほど驚きました。
                  全く同じなのですよ!!!讃美歌の方は同じところを挙げる人がいるかもしれないなぁと思っていたけれど、聖書の箇所(それも2箇所とも)まで同じってびっくり仰天。あの膨大な量の聖書の中から、それもコロサイのあの箇所はあまり取り上げる人はいないんじゃないかと思っていたから。思わず、ミスプリントじゃないか?って思って編集責任者に確かめたくらい!!でも、本当だった。同じ箇所を挙げた彼女に親近感を覚えたのは言うまでもない。

                  来週の日曜は私は東京にいる予定。さて、どこの教会に行ってみようかな。検討中なりぃ!
                  | クリスチャンな女してます | 06:39 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                  同い年の牧師さん
                  0
                    春から着任予定に決まった牧師さんが教会にやってきて礼拝をしてくださいました。
                    先日知らされた牧師プロフィールによると、年齢が私と同じなのですって!

                    これまで私の教会におられた前任牧師は私よりも若く、その前、そしてその前の前の牧師お二人は私よりも年配でした。自分で言うのもなんだけど、私の年代、ちょうど良いのではないかしら。年寄りすぎてもなく若すぎてもなく。ただ、教会の中では私の年齢というのはどちらかというと若いのですがね。(最近どこの教会でも高齢化が叫ばれて久しい)

                    クリスチャンの中には「牧師についていく」信仰の人がたまにいるようです。前任牧師が去られて教会から足が遠のいてしまう人、新しい牧師を反りがあわず別の教会へ(前任牧師のところだったり全く新しいところだったり)行ってしまう人がたまにいます。
                    確かに慣れ親しんだ牧師から新しい牧師に変わるととまどったりすることがないわけではないだろうけれど、それだけの理由で教会を転々(あるいは信仰の歩みを止める)とすることは良くないことだと思います。

                    牧師はただ神様の言葉を取り次いでくださる人、クリスチャンはイエス・キリストを信じ、神様を信じ、教会が迎え入れた牧師を信じることが大事なことだと思うのです。もちろんもし道にはずれた牧師が着任したとしたら(そういうことはないはずですが)教会に集う兄弟姉妹と相談しあって改善できるところは改善する必要があるかもしれません。しかし、そういう牧師をその教会につかわしたのは、ほかならぬ神様だということを忘れてはいけないと思うのです。
                    今回、着任予定の牧師さん、前任牧師が去られることになってから教会員全体が祈った結果、非常に早く(無牧な時期がもっと続くのではないかと懸念していました)決まり、昨日の説教は心に染み入る素敵なもので嬉しくなりました。

                    私が洗礼を受けたときから、これで4人目の牧師です。
                    私は牧師が代わっても、信仰に揺らぎを感じることはない。
                    たまに教会で「あぁーあ、なかなかわずらわしいな」と思える人間関係を感じることがあっても、牧師に対しては何の不満もない(それぞれ牧師によって少しずつ違ってもそれは単にアプローチの仕方の問題であって、『私に神様の言葉を伝えてくださる人』以上でもなく以下でもないから)。

                    また新たな信仰生活の第一歩!という感がして、昨日はおだやかな気持ちで礼拝説教を受けました。

                    あんだんてさんと一緒に礼拝を受けることが出来て、それもとっても良かったなぁー。自分がはじめて教会に足を踏み入れたときの感覚を少し思い出しました。
                    過去を振り返り大事にした上で、また前を向いて一歩一歩進んでいこう!
                    | クリスチャンな女してます | 07:34 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                    荻窪にある大宮前教会へ
                    0
                      今夏の東京では予定がてんこ盛りでした。
                      メインな目的はさとちゃんの大学見学。高校2年の間に行っておいた方がいいと聞いていたので頑張って行ってきた。
                      パパさんはいつまで東京かわからないので(というか、数年以内に大阪に帰ってくるということはどうもなさそうな状況)関東での進学というのも少し念頭にあるのだ。
                      ピックアップした中から2校ほど行く。
                      大学見学に行けば合格保証されるなんていうシステムがあればいいのになぁー。ソンナムチャナ・・・笑

                      そのほかの予定のひとつに荻窪にある教会へ行ってみたいというのがありました。大宮前教会の牧師先生に会いたかったのです。そこの牧師先生は10年ほど前まで私の教会で牧師をしておられた方で、私はその先生から洗礼を受けているのですね。
                      約10年ぶりにぜひともお会いしたいと思っていました。
                      日曜礼拝はお友達の踊りの会と重なっていて無理だというのがわかっていたので、23日水曜夜の祈祷会に行くべく、前日に連絡を取りました。
                      ドキドキ・・・・電話をする。
                      お年賀状は今でもやりとりしていて、夫が東京に住んでいるということは報告してありました。それでも私がちょうど東京に来ていてそちらにお伺いしたいと言ったら、とってもびっくりされてそして喜んでくださいました。
                      行き方を聞いて翌日さとちゃんと行きました。
                      さとちゃんとみつるんも、その先生から幼児洗礼(これは大人になってから信仰告白というのをやってはじめてクリスチャンになるというもので、幼児洗礼は親の勝手で受けさせるものなので、本人の意思ではない)を受けていて先生は覚えてらっしゃるけれど、肝心のさとちゃんは3歳くらいの時にお別れしているので全く記憶にない。みつるんも一緒に行かない?と誘ったけれど断られました。

                      さとちゃんと二人で荻窪駅に到着。夜なのでタクシーに乗った方がよいというアドバイスに従ってタクシーにて大宮前教会に到着。

                      感激の再会でした!奥様にも久しぶりにお会いしました。

                      こじんまりした祈祷会に出席。その後、2時間近くもおしゃべりしてしまいました。先生が去られてからの教会のこと、私のこと、私のこれからについてのアドバイスもいただき、充たされた夜でした。

                      今度は日曜に大宮前教会に行ってみたいなぁと思います。
                      | クリスチャンな女してます | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |